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時を超えて輝く場所:国立科学博物館と、変わるもの・変わらないもの

先日、本当に久しぶりに上野の国立科学博物館へ行ってきました。

目的は、現在開催されている「氷河期展」。約4万年前に生きていた巨大動物の骨格模型と、なんといっても日本初公開となるネアンデルタール人とクロマニョン人の実物の頭骨の展示です。

国立科学博物館は子供の頃から足繁く通い、そのたびに新しい発見があった大好きな場所です。

多分、今回は10年以上ぶりの訪問だったと思います。上野に行くたびに、入口のザトウクジラには挨拶していたのですが、建物の中に入るのは本当に久しぶりでした。

わたし
わたし

何回見てもザトウクジラの巨大さにびびる。

国立科学博物館証明入り口とザトウクジラの彫刻

訪問したした日はうだるような真夏の暑さ35度。じりじりと照りつける午後の日差しの中、上野公園を歩いているだけで汗がじっとりとにじみ出てくるほどでした。

▼いつでも日傘が手放せません

しかし、一歩科学博物館(=科博)のドアをくぐると、ひんやりとした空気が肌を包み込み、まるで別世界。その心地よさに、思わず「生き返る〜!」と心の中で叫んでしまいました。

外の喧騒と暑さを忘れさせてくれる静かで涼しい空間は、まさに知のオアシス。昔と変わらないその雰囲気に、懐かしさがこみ上げてきました。

国立科学博物館の日本館ホールの天井

建物内部も美しい

科博には数えきれないほどの思い出がありますが、いつも真っ先に思い浮かぶのは、フーコーの振り子ハチ公とジロの剥製です。

宇宙を感じる、フーコーの振り子

子供の頃、初めてフーコーの振り子(国立科学博物館 常設展データベース)を見たときのことは忘れられません。

わたし
わたし

”フーコーの振り子”っていう語呂もいいよねえ

もちろんその科学的な意味は理解できなかったけれど、親から「この振り子は止まらないんだよ」と聞いて、心底びっくりしたのを覚えています。

それ以来、科博を訪れるたびに「まだ動いてる!」と確認しに行くのが習慣でした。

今回も昔と変わらずゆったりと揺れ続ける振り子を見て、胸がいっぱいになりました。

この振り子を見ていると自分の視点がどんどん空へ昇り、大気圏を脱出して、宇宙から地球が自転するのを眺めているような感覚に陥ります。

初めて見たのは40年以上も昔のこと。街も人もテクノロジーも、その変化のスピードがすさまじいこの時代に、変わらず同じ場所で揺れ続けているというのはまさに奇跡のようです。

フーコーの振り子は、地球の地軸のずれや自転、そして慣性の法則という根源的な自然現象を目に見える形で示してくれています。

だからこそずっと同じように、変わらずにあり続けていることに何の違和感もありません。

シンプルだけれど絶対に変わることのない真理、あるいは事実の重さ。そのことを改めて感じさせてくれる存在です。

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再会を願う、ハチ公とジロ

そして、なんといってもハチ公とジロの剥製

子供の頃から動物、特に犬が大好きだった私。なぜ犬を飼っていなかったのにこんなにも犬が好きなのかは謎ですが、映画『ハチ公物語』を見ては号泣し、「はちー!」と叫んでいました。

小学生の時に大ヒットした映画『南極物語』では、 子供向け漫画も買ってもらい「タロとジロ、賢い!偉い!」と大感動していました。

S (いぬ)
S (いぬ)

単純なんだよ。全体的に美化しすぎ。

ハチ公はおそらく生まれて初めて見た秋田犬です。柴犬はどこでも目にしますが、秋田犬は見た記憶がなくて、映画で見ても柴犬との違いがよくわからなかったです。

タロとジロの話を知った後に、初めてジロの剥製と対面したときの衝撃は今でも鮮明に覚えています。思っていたよりも小さい身体で、漫画のジロよりも毛が長くてフサフサしている。

「これがあのジロか。南極に行って、そして帰ってきたんだ!」と、幼心に強く感じたものでした。

それ以来科博に行くたびに、ハチ公とジロに会いに行くのが私の定番コースです。

今回も、特別展の「氷河期展」をじっくりと堪能したあと、閉館時間が迫る中大急ぎで日本館の2階へ向かいました。

わたし
わたし

日本館2階の北翼にいるよ。

久しぶりの対面でしたが、2頭は昔と同じ方向を向いて静かに立っていました。

ガラスの瞳も、ハチ公の黒いハーネスも、ジロの長い毛も、何もかもがそのまま。

(参考;ジロ(国立科学博物館常設展データベース)

こうして剥製としてその姿を見ることができるのは、本当にありがたいことです。心の中で「こんにちは、また会えたね」と話しかけました。

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変わらないことの尊さ、変わることの意味

でも今回は少し今までとは違う感覚もありました。

それは、今家に可愛い愛犬のSがいるからかもしれません。

子犬が地面の匂いを嗅いでいる

強烈に「剥製だ」ということを感じたのです。

とても良くできた剥製だけれど、瞳も、毛も、しっぽも、やはりもう「死んでしまっている」。うちで生きて、いたずらばかりして私たちを困らせる愛犬Sとの違いを痛烈に感じました。

フーコーの振り子が、根源的な自然現象を可視化しているからこそ、ずっと変わらずあり続けていることに違和感がないのとは対照的に、ハチ公とジロはやはり命あるものとして生きていたからこそ、そのままの姿、生きているときと全く同じ姿を見せ続けることはできないのですね。(当たり前なのだけれど!)

変わらずにいられない、必ず変わるということ。それこそが「生きている」ということなのかもしれません。

もちろん、ハチ公とジロの剥製はこれからもずっと、国立科学博物館にあり続けてほしいと心から願っています。

これから先も、何回でも会いにゆくからね。時を超えて、私たちに大切なことを語りかけてくれる場所。国立科学博物館は、私にとってそんな存在です。

科博の見どころは展示だけではありません。建物そのものがとっても素敵。わたしの記憶では、1回大規模な建て増しがあり、数回の展示替えがあったように記憶しています。

確か昔は正面入り口から入ると、恐竜の骨格標本がどどーんと展示されていたように思います。

今回訪問したら入り口の場所さえ変わっていて、かつて入り口になっていたホールに恐竜はいませんでした。これも変わりゆくものの一つなのですね。

お気に入りが姿を変えてゆくのは寂しいけれど、それが時の流れというものなのかもしれませんね。でも、事の本質は変わらないし、変化の中にたくさんの学びや発見があるのでしょう。

今回の氷河期展も、多くの学びや発見があって本当に面白かったです!その内容は、また次のブログで詳しく紹介します。

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