
心がすーっと軽くなる本を読みました。極めて個人的な読書感想文ですが、忘備録を兼ねてブログに残そうと思います。
土井善晴 新潮文庫

毎日の食事に関する本ですが、日本人論にまでつながるところが面白い。
そして何よりたくさん掲載されているご飯とお味噌汁の写真が、どれもこれも美味しそう。白いご飯を食べたくなります。少しも気取ってないけれど、見ただけで味わいや温度がつたわる感じ。
普通においしいもの
若い人が「普通においしい」という言葉遣いをするのを聞いたことがありますが、それは正しいと思います。
土井善晴:一汁一菜でよいという提案
普通おいしいって、わたしは若くもありませんが普通に言いますしよく聞きます。この言い方はおかしいですっていろいろなところで見聞きします。
まぁ確かにね、ちょっと変かな、でもさぁ、これがしっくりする場面って結構あるし、褒め言葉だよね…って思ってました。でも、大っぴらには言えなかった。ちょっと教養のない大人と思われたく無かったから。
なのに!
土井さん言っちゃう!
いや、言って下さった。
日本語としては正しくないかもしれないけれど、わかる、普通においしいご飯。結局これを食べたいんだよね。
土井さんは家庭料理は普通においしいものだといいます。そして、決まった手順で作られたものは、安全とわかっているから、安心して食べられる。
そうそう、知らなかったけど、料理の前に手を洗うって習慣、外国ではあまり見られないそうです。これはちょっとびっくり。
身体が求めるお料理
一汁一菜のような身体が求めるお料理は、作り手の都合でおいしくならないことがあります。おいしい、おいしくないも、そのとき次第でよいのです。(中略)どちらもありますから自分自身でその変化を感じていればよいのです。
土井善晴:一汁一菜でよいという提案
この言葉に救われたって方は多いのではないでしょうか。
誰に強要されたわけでもないのに、毎日次のような考えに追い立てられています。
-
毎日違うものを作らなければ
- おいしいものを出さなければ
- できるだけ手を加えたものをださなければ
何でこんなふうに思うのかはわかりません、人によって強弱はあると思いますが、わたしは結構囚われています。
夕食を食べ終わると、あぁなんとか今日もこなせた、と思うのも束の間、明日はどうしよう。
金曜日は明日のお昼はどうしよう。
休みの日は3時を過ぎると、外に出かけていても夕食が気になって早く帰らなきゃ、と急かされる。
はっきり言ってめっちゃつらい。自分で自分を苦しめているってわかっているのにやめられなくてつらい。
それが、土井さんが美味しくなくてもいいんです、毎日同じでいいんです、って書かれていて、ふっと肩の力が抜ける感覚です。
あぁ、なんだいいんだ。
大げさに言えば許しを得たような気分。
全体的な感想

料理番組でたまにお見かけする土井さんは、とても品の良い関西弁で、物腰の柔らかさの中に一本筋が通ったような厳しさも感じる方だなと思っていました。
今回初めて土井さんの文章に触れましたが、丁寧で優しい文章で読み手を緊張させない文章だと感じました。
家庭料理に型を、というところから始まって日本人の文化や精神論にまで話が膨らみ、食って本当に文化だな生活だなと思います。
プロの作る料理は「楽しみ」で、家庭料理は「生きること」と仰っています。
そうだよね、外食は無くてもまあ生きていけるけど、家のご食事が消えたなら…それはかなり大変なこと。
ああ、トマトのお味噌汁食べたい!
そして近い内に夕食で”ご飯と具だくさん味噌汁だけ”をやってみたい、いや、やろうと思っています。
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